Web Magazine for Kyushu Hikers Community
気づけばそこはインド(今はアフリカ)だった
9月に入り、7・8月と比べて40℃を超えることが少なくなったチュニスだけど、そういう気象の移ろいだけでなく、市場を出回るデーツにも新物がどんどん並び始めている。
茶色:去年のもの オレンジ:今年の新物
公園に実生から育ったデーツの実
僕は今、アフリカ最北端の地であるチュニジアの首都チュニスにいます。歴史的には、ローマ帝国を最も恐れさせたカルタゴの英雄ハンニバルが生まれたエリアで、きれいな地中海では毎週末のごとくドボンはしているものの、近くに山がないのが残念なところ。正確に言うと、山らしい山はテロ組織の潜伏区域に指定されており、外務省から進入禁止の通達まで出ている。
それでも近くの公園から二つだけコブ(山)が見えたので、山が呼んでいるじゃないけど、とりあえずそこまで走って行ってみた。
ちなみに遠方からだと繋がっているように見えるが、それぞれ分かれていて、緑の山まで自宅から25km赤の山まで33km。
緑の山から見たチュニスの中心部方面
赤の山は岩肌メインでほぼクライミングとなり下山するまでずっとドキドキ
国内に山が無ければ国外へGo!ということで、アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロへ。
キリマンジャロと朝日と雲海
レース中、まだフラフラする前(約3500m地点)
冬山の装備はこちらに持ってきていないので、キリマンジャロを舞台にしたレースに出場することに。それは、山頂までは行かないものの、約4200mまで行って折り返してくる75kmのトレイルレース。
普段、海に近い海抜の低いところ(チュニス)で生活しているので、少しでも高度順応しておこうと、スタート・ゴール地点の農場(標高1770m(ほぼ中岳))に前入りして臨んだものの、空気が薄いだけでなく、チュニスと30℃の気温差もあって、当然ながら4000m前後でフラフラ。初めて平衡感覚を失い、止まっても真っすぐ立てなくなり、その間に抜かれたけど、それ以外の障害はなく無事にゴール。
ちなみに「キリマンジャロ」とひと言で言うけど、スワヒリ語のKilima(「小さな山」)と、チョガ語のNjaro(「白さ」や「輝き」)を合わせたものと解釈されていることを初めて知る。
その時に思い浮かんだのが、九州アイスの商品名にも一部なっている有名な「Mont Blanc」と同じやんということ。
タンザニアにはマサイ族の集落が至る所にあって(と言っても、サバナ気候の荒野が無限に広がっていて主要道路から舗装もされていない道の奥にしばらく入っていったところにあるので、外国人には簡単に見つけられない)、ちょうどMt.KilimanjaroとMt.Meru(タンザニア第二の高い山)の間にある集落をせっかくなんで訪問してみることに。
運よく最長老(111歳)とお会いでき、さらに運よく身につけていたリングを直接いただく。
キリマンジャロ麓から見たMt.Meru(4562m)
無駄に!?上裸だったのが良かったのか幸運にも直接リングを授かる
この樹木の枝を適当な細さにカットして歯ブラシ代わりに
この樹木の尖った茎を弓矢の矢じり代わりに
ルナサンの原型となった走る民族「タラウマラ族」のサンダルと同じ、廃タイヤから作られたマサイ族のサンダル
こんな景色が360°広がって野生動物がそこらじゅうに
アフリカゾウ親子
シマウマとムーの群れ
サファリツアーに使用される車の9割以上が世界のTOYOTAランクル
絞殺した鶏をワイルドに市場へ運搬
写真は他にも山ほどあり、内容も海のごとくあるけど、全てが壮大すぎて、ワイルドすぎて、僕が紹介すればするほど陳腐なものになりそうなので、今回はここで終わり。
当然だけど、世界もアフリカも広い。ずっと「日本で暮らしていた日本人」という意味で、狭い世界でのマジョリティだった僕は、人種も言語も宗教なども一気にマイノリティなところで生活が始まり、見るもの聞くもの感じるものが想像をはるかに超えていて、ほとんどを自分に落とし込めておらず、ずっと「メダパニ」状態。
でもなぜかそれが心地良くもあったりする心情はまさにインド仏教由来の「不思議」だ。
テキスト・写真/別府浩司
プロフィール
別府浩司(べっぷ・こうじ) 2009年、職場の先輩に偶然誘われて出た大会で山の中を走ることに魅了され、 山を走ることを通して、考え方や食生活などライフスタイル全てが変わり、 現在はアシュタンガヨガ、スパイスフードと合わせて没入している。アフリカ(チュニジア)在住